2021年7月10日いつもと少し違う行動をして気付きを得よう!
私は、緊急事態宣言発令以降、在宅勤務が多くなっています。
家にばかりいると運動不足になるので、時々、1時間くらい家の周りを散歩しています。
すると、この散歩は、話の材料を集めたり、色々な気付きを得たりするのに、なかなか有効だということに気付きました。
まず、散歩をすると、話の材料=ネタが自然に得られます。
私は、今の家に20年弱住んでいます。
しかしながら、改めて1時間で往復できる距離を色々とルートを変えて歩いてみると、意外に知らないところがいっぱいあることに気づきました。
今まで足を運んだことのない方角に15分ほど歩くと大きな道路があり、洋服や焼肉屋のチェーン店が軒を連ねています。
こんなところにこんなにお店が集まっているなんて、と改めて驚きました。
自分の家の周りに何があるのか意外に知らない、という話の材料がゲットできました。
また、歩いている途中、道端のベンチに年配のご夫婦が座っていました。
おだやかな笑顔でお話をされています。
その様子を見ていると、こちらの気持ちもおだやかで明るいものになりました。
このことから、笑顔は人の気持ちを明るくする、という話の材料が手に入りました。
このように、観察しようという意識を持って散歩をすると、色々なことが目に止まります。
それに自分の意見や感想を加えると、日常会話やスピーチの材料になります。
また、散歩をしていると、頭にふっと新たな考えやアイデアが浮かぶことがあります。
例えば、先日歩いていて、ふと、妻との会話でいつも気になっていることについて考えました。
テレビで、年齢よりも若く見える人が出てくると、私は「何だかこの人、若々しくていいね~」などと言います。
すると私の奥さんは必ず、「ああ~、この人きっと顔に注射とか色々やってるのよ~」というようなことを言います。
私は「そんなこと言わなくても・・・」と思っていたのですが、歩いていて、ふと、妻にこういうことを言わせているのは私なんだ、ということに気付きました。
もしかすると、私の奥さんは、
「この人と違って私は年齢通りの顔になっていくのよ、この人とは違うのよ」
ということが言いたかったのかも知れません。
無神経なことを言っていたかも知れないな、と密かに反省しました。
昔から洋の東西を問わず、哲学者や小説家はよく散歩をしていたということを聞きます。
散歩は何かを思いついたり、考えたりするのに確かにいいかも知れません。
ところで、散歩を始めてみると、今までいかに毎日同じ道を辿り、同じような生活をしていたか、ということを思い知りました。
同じことをやっていると楽なのでそのパターンはなかなか変えようとしません。
しかし、今回のコロナ感染によって、私たちは生活パターンを変えざるを得なくなりました。
そして、その結果、オンラインの会議は案外使える、とか、ハンコ文化を見直すべきだ、など、新たな気付きが得られました。
そう考えると、平常時でもいつもと違う行動を敢えてしてみる、ということは大切だな、と思いました。
これからは機会を捉えて、いつもと違う行動をしてみることで、新たな気付きを得ようと思っています。
家にばかりいると運動不足になるので、時々、1時間くらい家の周りを散歩しています。
すると、この散歩は、話の材料を集めたり、色々な気付きを得たりするのに、なかなか有効だということに気付きました。
まず、散歩をすると、話の材料=ネタが自然に得られます。
私は、今の家に20年弱住んでいます。
しかしながら、改めて1時間で往復できる距離を色々とルートを変えて歩いてみると、意外に知らないところがいっぱいあることに気づきました。
今まで足を運んだことのない方角に15分ほど歩くと大きな道路があり、洋服や焼肉屋のチェーン店が軒を連ねています。
こんなところにこんなにお店が集まっているなんて、と改めて驚きました。
自分の家の周りに何があるのか意外に知らない、という話の材料がゲットできました。
また、歩いている途中、道端のベンチに年配のご夫婦が座っていました。
おだやかな笑顔でお話をされています。
その様子を見ていると、こちらの気持ちもおだやかで明るいものになりました。
このことから、笑顔は人の気持ちを明るくする、という話の材料が手に入りました。
このように、観察しようという意識を持って散歩をすると、色々なことが目に止まります。
それに自分の意見や感想を加えると、日常会話やスピーチの材料になります。
また、散歩をしていると、頭にふっと新たな考えやアイデアが浮かぶことがあります。
例えば、先日歩いていて、ふと、妻との会話でいつも気になっていることについて考えました。
テレビで、年齢よりも若く見える人が出てくると、私は「何だかこの人、若々しくていいね~」などと言います。
すると私の奥さんは必ず、「ああ~、この人きっと顔に注射とか色々やってるのよ~」というようなことを言います。
私は「そんなこと言わなくても・・・」と思っていたのですが、歩いていて、ふと、妻にこういうことを言わせているのは私なんだ、ということに気付きました。
もしかすると、私の奥さんは、
「この人と違って私は年齢通りの顔になっていくのよ、この人とは違うのよ」
ということが言いたかったのかも知れません。
無神経なことを言っていたかも知れないな、と密かに反省しました。
昔から洋の東西を問わず、哲学者や小説家はよく散歩をしていたということを聞きます。
散歩は何かを思いついたり、考えたりするのに確かにいいかも知れません。
ところで、散歩を始めてみると、今までいかに毎日同じ道を辿り、同じような生活をしていたか、ということを思い知りました。
同じことをやっていると楽なのでそのパターンはなかなか変えようとしません。
しかし、今回のコロナ感染によって、私たちは生活パターンを変えざるを得なくなりました。
そして、その結果、オンラインの会議は案外使える、とか、ハンコ文化を見直すべきだ、など、新たな気付きが得られました。
そう考えると、平常時でもいつもと違う行動を敢えてしてみる、ということは大切だな、と思いました。
これからは機会を捉えて、いつもと違う行動をしてみることで、新たな気付きを得ようと思っています。